わかりやすい「学校の共有ビジョン」と、それに向けた教員の試行錯誤こそ大切

 日本の学校では、誰もがわかりやすく具体的で明確な教育指針・ビジョンがある学校は、まだ少ない。どちらかというと情緒的・観念的なものが多く見られる。一体、どんな生徒を育てたいのか?どんな生徒を輩出したいのか?そこで最も重要視したいことは何か?わかりやすくいうとどういうことか?と、そこに絞りきっていない、言語化できていないことが原因かもしれない。

 例えばよく見られるものに「グローバルな意識を持ち、社会で役立つ人材を育成」というような言葉がパンフレットに書いてある学校は、山ほどある。まずここには、大きく二つのことを一つの文章で表している。即ち、「グローバルな意識を持つ」と「社会で役立つ」という二つである。まず、前者の「グローバルな意識を持つ」人材とはどういう人材なのだろうか?例えば、多様な考えを受け入れるという意味であるとしたら、、、それは、どういう趣旨なのだろうか?

「さまざまな文化を尊重し、受け入れることができる生徒」???
「さまざまな人の意見を丁寧に聴き、なぜそう思うのかを理解し、他者の良さを見出せる生徒」???それとも
「さまざまな感性を受け止め、自分の感性を伝え、共にその違いを考えられる生徒(美術をはじめ他の教科でも)」???

これだけでも様々な解釈が成り立つ。即ち、「グローバルな意識を持つ」というやや抽象的な言葉のみでは、解釈は人それぞれとなりやすいのである。よくよくパンフレットを見てみると、英語に力を入れているというだけだったりする場合もあるのである。この学校は、何を一番大切なことと捉えているんだろうか?というところは伝わりにくい。これは、パンフレットを見る生徒や保護者だけでなく、内部の教員やスタッフにまでブレずにその意図が伝わっているのだろうか?と思ってしまう。学校によっては、この例では内部でも「英語を強化している」「ネイティブ教員がたくさんいる」「留学制度がある」と教員によって受け取り方がバラバラの場合もある。内部がこういう状態であれば、外部の人には、余計大切にしているものが伝わらないどころか、実際の教育面でもブレまくったりしてしまう。軸がなくなってしまうこととなるのである。

次に、後半の「社会に役立つ」人材育成について考えてみよう。学校の特色を示す言葉としては非常に弱い。社会に役立つ人になるには、どんなことが必要でそれはどんな人の中にもあるというようなことが言語化されていない。逆に考えると、「社会に出て役立つ人になるのは、当たり前でしょ!」「そのためにこの学校ではどんなところを大切に思い、そのためにどんなことを全員でしようとしているの?」というのが保護者の一番の関心事である。数年後の具体的将来のビジョンを明確にし、そこに向かうために何をしようとしているのか?ということこそが保護者が一番求めていることである。もちろん保護者は、大学合格実績も見ているがそれは、ベースとして見るのであり、本当の本当は、自分の子供をここに行かせれば、伸びる(成長する)かもしれないという期待感と学校のビジョンに向けての施策や試行錯誤の真摯さである。(これをハイテックハイでいう、メンタルモデル=「対話」によって自分達がやろうとしていることの意義を説得力を持って伝えられる。を作り上げて示すとううところに繋がるのである。)

こうしてその学校のビジョンが具体的で明確であり、スタッフ全員がそれを同じように理解し、そこに向かって試行錯誤を互いに協力しながら行っているか?という話に繋がってくる。

ここで、わかりやすいビジョン共有の例として、カリフォルニアのハイテックハイの教育理念(スクールミッション・共有ビジョン)を見てみよう。育てたい資質能力(学校教育目標) 組織が何のためにあり、何を生み出したいかを「公正の原則」ということで表しており、そのために、職務一覧・カリキュラム・学級編成・学校組織・生徒に提供する教育内容の構成・評価等、未来のための戦略、原則、指針・・実践の共有イメージ、全てに及んでいる。その「公正の原則」とはどういうことかというと、

「誰もが、人種や性別や、性的な意識や、身体的、もしくは認知的能力にかかわらず、同じように価値のある人間だと感じる」ことと定義している。

このビジョンは、さまざまな場面で教員が口にし、生徒が口にしている。それくらい浸透しているのである。工藤勇一先生が常に言われる口癖「最上位目標は?」が生徒や教員の口からよく出てくることに似ている。そうして、ここから生まれてくる大切な指標が、「生徒の成長」である。評価も「生徒のための評価」=生徒がどう成長したかを教員・生徒・保護者・地域の人々で共有して喜ぶ。に繋がっていく(定期テストの代わりに単元テストを入れた工藤先生の発想とも重なってくる)。

このハイテックハイのビジョンに似たものが、イエナプランの原則の中にも見られる。
イエナプラン(20の原則の最初にある、人間についての最初のコンセプト)
①どんな人も、世界にたった一人しかいない人です。つまり、どの子どももどの大人も一人一人がほかの人や物によっては取り換えることのできない、かけがえのない価値を持っています。
②どの人も自分らしく成長していく権利を持っています。自分らしく成長する、というのは、次のようなことを前提にしています。つまり、誰からも影響を受けずに独立していること、自分自身で自分の頭を使ってものごとについて判断する気持ちを持てること、創造的な態度、人と人との関係について正しいものを求めようとする姿勢です。自分らしく成長して行く権利は、人種や国籍、性別、(同性愛であるとか異性愛であるなどの)その人が持っている性的な傾向、生れついた社会的な背景、宗教や信条、または、何らかの障害を持っているかどうかなどによって絶対に左右されるものであってはなりません。

いずれもわかりやすく、最も大切にしているものがハッキリしている。

その上で、ハイテックハイでは、以下のようにも言っている。

人は一人ではなし得ないことも、さまざまな価値観を持つ人々と協働することにより、成し遂げることができる
1)理念を言葉に表したとしても、その言葉に熱狂し続けられるかどうかの方が実は難しい
2)その言葉をわかりやすく伝え、その理念に共振する人をどれだけ増やせるかも、また難しい
3)言葉の内実を永遠に問い直せるかどうかの方がよほど重要なのである
4)常に変化を続けるということは、核となる言葉を容易に手放すことではなく、その言葉を限りなく大事にして問い直し、探究し続けること

また、日本イエナプラン教育協会 中川綾さんは、コロナ禍においても、以下のように言っている。

「イエナプランには原則があるから、新型コロナがあっても何も変わらない。手段が変わっても、大切にしたいものが変わらなければ、それに沿って考えればいいですよね」
大事にしている言葉があれば、それを基軸に考え直せばいいだけなのだ。・・・・と
 
 日本で比較的、ビジョンが明確で具体的な学校、そして、スタッフが互いに協働してそのビジョンに向かって試行錯誤を行っている学校として、上記に挙げた形に近い学校全体として私が知っているところは、福井県の若狭高校と鳥取県の青翔開智である。いずれも「探究」を実践することを高らかに掲げている学校である。また、生徒を探究へと進めるためには、まず教員が探求を進める必要性を実践している学校であるとも言える。しかも、週に1時間しかない総合的探求の時間だけでなく、通常教科の中にも探求的要素を取り込み、常日頃から探求を教員も生徒も意識できる学校といえる。
 
 以前若狭高校にいた渡邉久暢先生が、国語科であるが生徒たちに探求的思考を国語科でも発揮できるような取り組みをするにはどうしたらいいかを、毎日国語科でミーティングしていると聞いた時はびっくりした。こんな学校は、他で見たことがなかったからである。自分たちが仮説を立て、生徒を探求的な思考で国語科もしくはその他の科目でもできるようにしていくにはどうしたらいいかという「試行錯誤」を毎日行なっているのである。当然失敗もある。その失敗を教員間で共有している。失敗しても大丈夫、という安心安全な場づくりを教員間でやっているのである。これができるのも学校としてのビジョンが明確だからと言える。しかも教員が協働してチャレンジしていれば生徒も同様に、チャレンジし、試行錯誤をできるようになってくる。
 
 青翔開智では、学校司書の横井麻衣子さんが各教科の要となり、「探求スキルラーニング」をパワフルに図書館を利用して展開されている。「総合的探求の時間」は、週に2回だけだがそれ以外に教科で行う探求的教科学習のことを「探求スキルラーニング」と呼んでいる。全ての教科を探求的に行いたいが、そうはいかず、高2文系で見ると週35時間中、総合的探求の時間=2時間、英語は全て=5時間、日本史=4時間、保健=1時間、現代文=2時間、の計14時間が探求を意識した授業(探求スキルラーニング)となっている。横井麻衣子さんが「学校に図書館がある」ではなく「図書館に学校がある」という表現がとても素敵であった。そこで調べ物だけでなく議論したり、プレゼンテーションしたりするところが学校の真ん中にあり、探求していく中心の場所となっている図書館構造も大きく影響していると思われる。だからこそそういう表現になるのであろう。各教科のルーブリックも生徒の自己評価・教員評価・相互評価と共有されている。中でも一番印象的だったのは、どのように、「学校理念をブレイクダウンし、育てたい資質を定義するのに一番時間がかかった」と言われていたことであった。数年の試行錯誤の上に今の形になっているということであった。
 
 2校とも、常に具体的ビジョンに向かい試行錯誤を重ねており、しかも、今の状況が完成形ではなく試行錯誤をさらにして、常に進化していこうとされているところが特徴と言える。この特徴と同じことを常に言われているのが、イエナプラン校である長野県大日向小学校・福山市の常石ともに学園の先生方でもあるのである。
 
いかに、「明確な学校のビジョンと、共通の目標(ビジョン)に向かって、スタッフが協働して試行錯誤し共有しさらに発展しようとしているか」が共通しているのである。・・・・ハイテックハイではこのことを「学習する学校」という表現をしている。
 
日本は、いつまでも教員が「個人商店」のままではいけないのではないだろうか!
 

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